水たまりより狭く、日本海溝より深く

今日も一日脳筋解決。脳みそこねこね

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頭に浮かぶイメージ

昔から話を書くのが好きだ、という恥も外聞もかなぐり捨てた日記に書きました。

話を書く際は、キャラ設定だけを作成すれば頭の中で物語が動き出す。自分にとっては、人が呼吸をするように、ごくごく当たり前な営みであったわけですが、それは普通では無い。特殊な能力であるという意見を頂きました。

さてさて、そんな普通では無い、狂気のような能力ですが、一からオリジナルのお話しを書く時に限らず、自分が好きな文を読んだときにも同じようなことが起こります。

それは、如何なる文であっても、気に入った物であれば否応なしに顕現される物であって、新聞のコラム、試験の問題文、純文学、はたまたライトノベルに至るまで、それは節操無しに行われます。

ライトノベルであれば、狼と香辛料がそれに当たります。学生時代学友に勧められ、駅前のオタクに優しい優しいTSUTAYAで、狼と香辛料第一巻を購入した、2006年の5月が事の始まりでした。

元々、妖怪であったり神話をベースにした所謂、神が関係するお話しが大好物で、親の仕事の関係上、経済にも興味があった中で、神と揶揄される、賢狼と行商人を題材にした、この狼と香辛料には憂き身をやつしました。

時は過ぎ、学校を卒業する頃に16巻が発行され、終わりが近づき、社会人になって初めての夏に最終刊が発行されました。

読み終わった後に、これで終わりなのかという喪失感が立ち込めた後、自分の中で有りもしない続きのお話しが、それこそビッグバン後の宇宙のように広がっていきました。

当時は、まだ中学生の頃にお話しを書くことについて、からかわれたトラウマから何かに書き留めることはありませんでしたが、3ヶ月くらいはそんな状況が続きました。


純文学で有れば、太宰治人間失格と晩年も、狼と香辛料を読んだときと同じような感覚に陥りました。
純文学とライトノベルを同等として扱うなど、愚か者であるとの意見もいくつかありましたが、幸い僕は捻くれているため、お話しの発行体系やスタイルなどには貴賤を付けません。

しかしながら、狼と香辛料と違ったところは、頭に浮かんだイメージの雰囲気が真逆であったことでしょうか。

狼と香辛料を読んだ後のイメージは、希望に満ちあふれている反面、人間失格や晩年を読んだ後に浮かんだイメージは、それはそれは暗く、狂気じみたものでした。

狼と香辛料より前に、人間失格や晩年を読んだためか、自分が頭の中で作り出すお話しは、どこか狂気じみた傾向にあるようです。

残酷だ、狂気じみている、静かにくすぶる狂気等と評価を頂いたときに、この人間失格や晩年を読んだ後のイメージが元ネタになっているのだなぁとしみじみと感じました。 評価頂いた方の名誉のために言いますが、侮蔑を込めた物では無く、狂気じみているから良いという評価でした。自分に取ってもこの評価は嫌な物では無く、むしろ自分の特徴だと前向きに捉えられたので、大変ありがたい物でした。

狼と香辛料の短編が出て、読んだ後に懐かしいイメージが湧き上がってきたので、思わず日記に書き上げてみました。

(昔DSで狼と香辛料のゲームが発売されていましたが、物語を終わらせたくないがために、プロアクションリプレイをわざわざ購入し、コード分析を行って、エンディングへのフラグをへし折りながらプレイしていました。)