水たまりより狭く、日本海溝より深く

今日も一日脳筋解決。脳みそこねこね

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睡眠欠乏症

2月に退院してからはや8ヶ月。風邪を引いて、コクサッキーウイルスが心臓にまで至り急性心筋炎に陥ってから8ヶ月。

当時、心筋トポロニンTが心筋梗塞のカットオーバー値を大きく上回っており、酷ければそのまま劇症型心筋炎に罹り、死ぬところでした。

医者にはよくもまぁこんな高い値叩き出しながら、平気で歩いてきたもんですねとあきれられてから8か月。

コクサッキーウイルスとは、風邪の原因ウイルスとしてはメジャーなウイルスで、所謂風邪ウイルスと呼ばれている物です。
なので、健康な人でも運が悪ければ急性心筋炎に罹ることになります。0万人に対し100人程度発症するので発症率は0.1%ですね。

風邪を引く大きな原因の内の一つに寝不足があげられるかと思います。急性心筋炎に罹る直前は、多忙を極めており、寝ても平均2時間、酷いときは寝ずに40時間稼働などが続いたので、恐らく根本的な原因は睡眠不足でしょう。

退院してからは流石にマズいなと思い、当時よりは寝るようにしたのですが、それでも4時間30分ほどでしょうか。

朝のきつい眠気を乗り切ってしまうと、それ以降中々眠れなくなっているので、個人的には結構困ってます。平日であれば、最低でも6時間寝るのが良いと聞いているので、このままでは1時間30分ほど少ない計算になります。

何か良い睡眠導入の手段は無い物でしょうか・・・

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頭に浮かぶイメージ

昔から話を書くのが好きだ、という恥も外聞もかなぐり捨てた日記に書きました。

話を書く際は、キャラ設定だけを作成すれば頭の中で物語が動き出す。自分にとっては、人が呼吸をするように、ごくごく当たり前な営みであったわけですが、それは普通では無い。特殊な能力であるという意見を頂きました。

さてさて、そんな普通では無い、狂気のような能力ですが、一からオリジナルのお話しを書く時に限らず、自分が好きな文を読んだときにも同じようなことが起こります。

それは、如何なる文であっても、気に入った物であれば否応なしに顕現される物であって、新聞のコラム、試験の問題文、純文学、はたまたライトノベルに至るまで、それは節操無しに行われます。

ライトノベルであれば、狼と香辛料がそれに当たります。学生時代学友に勧められ、駅前のオタクに優しい優しいTSUTAYAで、狼と香辛料第一巻を購入した、2006年の5月が事の始まりでした。

元々、妖怪であったり神話をベースにした所謂、神が関係するお話しが大好物で、親の仕事の関係上、経済にも興味があった中で、神と揶揄される、賢狼と行商人を題材にした、この狼と香辛料には憂き身をやつしました。

時は過ぎ、学校を卒業する頃に16巻が発行され、終わりが近づき、社会人になって初めての夏に最終刊が発行されました。

読み終わった後に、これで終わりなのかという喪失感が立ち込めた後、自分の中で有りもしない続きのお話しが、それこそビッグバン後の宇宙のように広がっていきました。

当時は、まだ中学生の頃にお話しを書くことについて、からかわれたトラウマから何かに書き留めることはありませんでしたが、3ヶ月くらいはそんな状況が続きました。


純文学で有れば、太宰治人間失格と晩年も、狼と香辛料を読んだときと同じような感覚に陥りました。
純文学とライトノベルを同等として扱うなど、愚か者であるとの意見もいくつかありましたが、幸い僕は捻くれているため、お話しの発行体系やスタイルなどには貴賤を付けません。

しかしながら、狼と香辛料と違ったところは、頭に浮かんだイメージの雰囲気が真逆であったことでしょうか。

狼と香辛料を読んだ後のイメージは、希望に満ちあふれている反面、人間失格や晩年を読んだ後に浮かんだイメージは、それはそれは暗く、狂気じみたものでした。

狼と香辛料より前に、人間失格や晩年を読んだためか、自分が頭の中で作り出すお話しは、どこか狂気じみた傾向にあるようです。

残酷だ、狂気じみている、静かにくすぶる狂気等と評価を頂いたときに、この人間失格や晩年を読んだ後のイメージが元ネタになっているのだなぁとしみじみと感じました。 評価頂いた方の名誉のために言いますが、侮蔑を込めた物では無く、狂気じみているから良いという評価でした。自分に取ってもこの評価は嫌な物では無く、むしろ自分の特徴だと前向きに捉えられたので、大変ありがたい物でした。

狼と香辛料の短編が出て、読んだ後に懐かしいイメージが湧き上がってきたので、思わず日記に書き上げてみました。

(昔DSで狼と香辛料のゲームが発売されていましたが、物語を終わらせたくないがために、プロアクションリプレイをわざわざ購入し、コード分析を行って、エンディングへのフラグをへし折りながらプレイしていました。)

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子どもの頃の夢

初対面の人間と会話し、導入部が終わった後に挙がる話として、「子どもの頃の夢」がチョイスされることがたまにある。

気に入った相手にだけする話で、自分がこう言う人間で、どのような道を辿ってきたか提示し、相手の話も聞くことで興味を持った対象の人となりを知り、より相手のことを知るといったプロセスを踏む僕にとっては常套手段だ。

しかしながら、僕の子どもの頃からの夢の話は、10分そこらで語れる物でも無く、また一般社会で受け入れられにくい物でもあるので、大抵は内容を端折って話す。

そこには若干の嘘が混じり、僕のイメージに僕自身と相手との間で齟齬が発生する。ただその齟齬こそが現代社会というものであると認識しているので、齟齬が発生したからと行って嫌悪感を覚えることは無い。
もちろん、この齟齬のせいで会話に違和感が発生することもあるが、新たな小さな嘘を混ぜることによって均衡を保つ。この均衡を保つことこそが、社会に適合する能力だと僕は考える。

僕の夢

導入部に時間がかかったが、ここで僕の子どもの頃からの夢について、恥も外聞もかなぐり捨てて話そうかと思う。
インターネットという物は、社会とは違い匿名対匿名でのコミュニケーションが基本なので、本音をぶちまけられるこの場所というものが好きだ。

ものづくり

僕が生まれてからまず始めに興味を持ったことは、料理を作ることだ。あれは確か国が所管している某テレビ番組で、料理人にフォーカスを当てたドキュメンタリーを親と見ていた時の事だった気がする。

料理を作るバックグラウンド、つまり食材の選定から、調理時の工夫などを紹介した物で、幼少期の僕にとっては衝撃的な内容だった。

料理と言えば、店に赴き様々な料理の写真が載ったメニューを見て、自分が好きな料理、例えば色とりどりの子どもが好きそうな食べ物をプレートに載せたお子様ランチをオーダーする。
オーダー後暫く待てば、ウェイトレスが料理を運んでくる。後はそれを食し、最後に料金を支払うもの、または自室で遊んでいる最中に、母親にダイニングへ呼ばれ、親が作ってくれた料理を食べる。食べ終われば覚束ない足取りで、食器をシンクに置く物であると認識しており、調理するまでのプロセスを認識していなかった。

自分が今まで認識していなかったプロセスを、ブラウン管を通して初めて認識し、感動を覚え、当時まだ親初心者だった母親に教えを乞うた。

今思えば、これが所謂ものづくりに興味を持った初めの一歩だったのかもしれない。

結局、料理人という道を選ぶことは無かったが、この時に気付いた料理の楽しさは今でも脈々と引き継がれている。

話を創作すると言うこと

幼稚園の教育の一環で、自分でお話しを作ってみようといった取り組みがあった。与えられたテーマに沿って、自分でお話しを創作すると言ったものだったが、これが自分に非常に合うことが分かった。登場人物を用意し、特徴などを列記すると、とたんに頭の中でストーリーが動き出し、第三者視点で自分が作ったキャラクターが動き出す。これをひたすらリアルタイムで紙に書き写す。

そうして、できあがったお話しを発表し、高評価を得られたこともあり、話を創作する楽しさを経験することができた。

このスキルは主に学生時代、読書感想文や現代文の授業、反省文に大いに役立つ事になった。

駅での出会い

幼少期の頃、当時存命だった祖父に動物園へ連れて行って貰った道中、地下鉄の駅で自動改札機がメンテナンスしている場面に遭遇した。

幼少期の移動手段としては、バスかJR、親が運転する車しか利用していなかったため、なかなか自動改札機に触れることが無かった。
このフレーズを見て僕より若い世代は、JRを利用していたのに、なぜ自動改札機に触れることが無かったのか。親が全部やっていたからか。と思う人も居るだろう。
よく利用していたJR大阪駅に自動改札機が導入されたのは、1999年の年末頃だった。そのため、幼少期ではまだ有人改札だったのだ。幼少期は駅員に切符を改札してもらう事が好きだった。

さて、話を戻そう。自動改札機の中は見たことがある人も居るだろうが、簡単に言うと非常に複雑な構造に心を躍らせた。あの複雑な中をあんな速いスピードで切符が流れるのか、と非常に大きな感銘を受けた。

帰宅後は、自動改札機の仕組みについてインターネットで検索した。IBM Aptivaを立ち上げ、Windows 95が立ち上がる。その後Netscapeのショートカットをダブルクリックし、ダイヤルアップ接続画面で接続後、インターネットへリーチする。

リーチした後は、Yahoo!Japanへアクセスし、自動改札機について調べる。また、父親が工学に明るかったため、調べた事柄についてディスカッションを行い、自分の知識範囲を広げていった。

仕組みを理解するだけでは飽き足らず、自動改札機の模型を父親と一緒に作成し、仕組み通りに動くか、運用中に考えられる問題点は何か(切符が詰まるなど)、原因は何か、解決策はあるか、といったことを更にディスカッションし、知識を更に深めた。

この経験から、機械を作ることに大変大きな興味を抱き、メカトロニクスに関連した仕事に就きたいと興味を示し、ひたすら進んでいくことになる。

見えてくる問題

メカトロニクス分野に進むことを幼少期に決断し、嫌いな勉強に力を入れ、高専に進むこととなった。これで晴れてメカトロニクス分野への門戸を開けるんだと心躍ったが、入学後大きな壁にぶち当たることになった。

元々、潔癖症であることと、肌が弱いことが相まって、機械油が非常に嫌いだった。視覚的にも、精神的にも受け入れられず、堪えられなくなって、メカトロニクス分野を専攻することを辞めた。

サーバーとの出会い

メカトロニクス分野への専攻を諦めた高専1年から高専3年の間はただただ惰性的に生きていた。授業は最低限の出席日数しか参加しなかったが、自分で自習を行い、合格点ギリギリの点を取れるように調整してテストを受け、放課後は日本橋へ繰り出す、なんて学生生活を過ごしており、学内での生活は全てが灰色に見えた。

自主退学も検討したが、卒業後の進路の安定と授業料の安さなどが後ろ髪を引っ張り、思いとどまりながらも、嫌々学生生活を過ごしていた。

そんな中、高専4年の頃に仲の良い先輩から研究室に遊びに来ないかと誘いを受け、研究室にお邪魔した。このことがきっかけで、今まで灰色だった学生生活が、色を取り戻す事になった。

その研究室ではRuby on Railsを利用して、WEBアプリケーションを作成しており、興味本位について行ったところ、実際にコードを書いてみたら、と提案され手を出してみた。当時はWindowsを利用していたので、まず環境構築から躓いていたが、調べたり、先輩に助けを求めながら、何とか環境構築することができた。この環境構築できるまでのプロセスが非常に楽しかった。

先輩や研究室の先生にヘルプをしてもらいながら、初めてRuby on Railsでデータベースを利用した、軽めのWEBアプリを作成することができた。

この時に大きく興味を持ったのが、Ruby on Rails自体では無く、そのRuby on Railsで書かれたWEBアプリが動作する、サーバーだった。

サーバー自体はどう構築するのか、どういった物があるのかと、幼少期に自動改札機の中身を見たときと同じような感覚が蘇ってきた。
しかしながら、学生のバイト代程度ではもう一台PCを用意することが難しく(中古で買うことは一切考慮しなかった)、二の足を踏んでいたところ、MicrosoftがHPのタワー型サーバーと、Windows Server 2008を無料で提供してくれるキャンペーンがあったので、喜び勇んで申し込み、見事当選するに至った。

サーバーが届いてからはひたすら知識範囲の拡大に努めた。当時月5万円ほどのバイト代を稼いでおり、それらを全て専門書につぎ込んだ。それでも足りなかったので、親にお金を借りてまで専門書を買いあさり、専門書に穴が空くまで読み続け、頂いたサーバーで動作確認をした。

頂いたサーバーだけでは、事足りなくなったため、バイトを掛け持ちしてラックマウントサーバーを購入した。確か購入したサーバーは、HPのProLiant DL 160 G5だ。

しかし、複数のOSを利用するには何か仕組みが必要だった。そんな中現れたのが、VMwareのESXiだった。ESXiはWindows上で動くVMware Playerとは違い、ホストOSが不要なハイパーバイザであり、その上に複数のゲストOSを立ち上げることができる物で、当時の僕はまさに渡りに船と感じた。

そこからは、Linuxに手を出したり、DreamSpark(現Microsoft Imagine)を利用し、Windows Server 2008 R2を無償でダウンロードして、ESXi上にインストールしたりなどサーバー構築に関する基礎を実機を用いて色々と実践した。

この経験から、卒研室でサーバー構築をしたり、ネットワークインフラエンジニアとして働くようになった。

今の夢

もちろんの事ながら、ネットワークインフラエンジニアとして更に邁進していく夢も変わっていないが、ネットワークインフラの知識を使った小説を書きたいと最近思うようになった。

子どもの頃、図書館でパソコン通信探偵団事件ノートシリーズを読んだことをきっかけに、パソコン関連の話を書きたいと考えては居たが、当時の興味はメカトロニクスに向いていたので、考えるだけに終わっていたが、頭の中でいつかパソコンに関連した小説を書きたいと考えていた。

それから暫くして、すべてがFになるのアニメを見て、より一層その思いが強くなった。しかし、アニメだけではよし、書こうという気分にまではならなかったので、原作を読んでみることにした。

アニメでは描写されなかった所を原作で読むことで、創作意欲が一気に加速した。アニメだけでは書いて見ようとは思わなかったが、原作を読んだおかげで、良し書いてみようといった意欲が沸々と湧いてきた。

13年越しの思いが、ようやく実った。これまでにも何か話を書いてみようとは思った物の、頭の中で動くストーリーがぼんやりしていたため、筆を折る事が多かったが、今はどんどんとアイデアが泉のようにわき出てくる。ふと休憩すると、何の意識もしていないのに、頭の中でストーリーが動き出す。

残念ながら、文書力は平均よりかなり低いので、下手くそな文書になってしまう気がするが、今からでも始めてみようと思う。

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最近はてぶで何気ない事をブログにするの流行ってますね。

3年前くらいに作ったブログの存在を思い出したので、のんびりゆったり始めて見よう。

センシティブな日記はノートにまとめてはいたけど、ペンを持って文書を書くと如何せん時間がかかるので、センシティブでは無い日記はキーボードで書いてみましょう。

インターネットとともに生まれ、インターネットと育った男

僕の生まれは1990年。狭義の意味でのインターネットは、CERNが1990年に世界で初めてWWWシステムのための、サーバとブラウザを開発した時点で生まれた物と考える。

そう考えると僕はインターネットとともに生まれ、ともに育ち、ともに生きていると言える。

当初のインターネットと言えば、日本で自動車が走り始めたときのように、ルールが整備されていなかった。しかしながら、インターネットへアクセスできるユーザはごくごく限られていたため、ルール整備をせずとも秩序を保つことができていた。


ルールという物はとある事象が起きた後、再度同じ事象が発生することを防ごうとしたとき初めて生まれる。


1990年から現在に至るまでに、インターネットへリーチする手段やデバイスは、とてつもないスピードで進化、発展を遂げてきた。

発展を遂げるにつれ、インターネットへリーチするコストはどんどん下がっていき、ユーザが研究者や軍人、教育機関、法人、ギーク、そして一般市民へとその裾野を広げていった。

使うユーザが増えれば増えるほど、見えていなかった問題が目に見えてくる。そのたびに新たなルールが生まれ、息苦しい世界へと展望を遂げていく。

しかしそれは、ごくごく当たり前の事であってこの連鎖を止めるのであれば、ユーザを全てKillする必要がある。では、ユーザを全てKillしましょうとなると、インターネットという世界はこの世から消え去ってしまう。

そんな事を考えながら最近のSNSでのいざこざなどに思いを馳せてみる。

英語とのつきあい方

Kosen Advent Calendar 2013 11日目担当のしょぼんです。

さて、タイトルには高専生が大嫌いな「英語」が早速飛び出てきました。怖いですね〜。

高専生の大半を苦しめる英語。卒業したら授業無くなるし英語と関わらなくても良くなる?

答えはNoです。


  • なぜなのか

高専を卒業するほとんどの学生はエンジニアになると思います。
エンジニアの世界では英語は必須です。

最新の技術情報や製品情報のほとんどは英語で発表されているからです。
そもそも、技術関連の本や資料は英語であるのが基本です。
ただし、日本は母国語、つまり日本語でかかれた技術書が豊富に存在しており、
学生時代勉強するに当たって、英語が読めなくてもわりかしどうにかなってしまう状況にあります。

その結果、英語が読めなくても何とか高専を卒業することができるのです。

さて、卒業するまではいいですね。問題はその先。
大学進学や専攻科進学、就職などと行った道があります。

大学や専攻科では参考にする論文が英語であったり、授業が英語である、国際学会もあると
言ったように英語を使う頻度が学生時代とくらべて格段にUPします。

社会人でも、取引先が国際系企業だった際に取り交わす文書やメールは英語であったり、
マニュアルが英語であったり、完成図書を作成する際に英語が必要になったりします。

つまり、これからの時代英語は切っても切れない関係になっているのです。

  • じゃあどうすればいいか

英語から逃げられることはできないので腹をくくるしかないです。
と、こんな事いきなり言われても困りますよね。

ところで、皆さんにとって英語とはどんなものでしょうか?
恐らく英語が苦手だと言う人は英語は単位を取るために必要な学問である、
と言った認識を持っているのではないでしょうか。この考えのままだと英語はいつまで経っても得意になれません。

英語はコミュニケーションを図るための「ツール」です。学ぶ物ではなく使う物です。

英語についてそこまで深く考える必要はありません。もっと気楽に英語を見てみましょう。

  • 英語を「ツール」にする

皆さんは英語を和訳するときどのように訳していますか?
恐らく、話し言葉ではなく、書き言葉で訳しているかと思われます。
書き言葉で訳してしまうと、普段話している言葉とは違い堅い表現になってしまいます。
たとえば

I'd like the one on the shelf over there.
この文を書き言葉で訳すと、
あちらの商品棚にあるものがほしいのですが。
になります。

こうではなく
あそこの棚においてる奴ほしいんやけど

みたいにできるだけ話し言葉で訳してみます。また、わざと方言を交えて訳します。
こうすると、普段話しているような感じになりますし、方言などを交えることによって
エンターテイメント性を付与することができます。

要は何が言いたいかというと「どうせやるなら楽しくやろーぜ」です。
堅いことはおいといて気楽に、おちゃらけて英語に取り組めば良いのです。

こう訳せばクソ堅い文章もたちまちユーモアにあふれる文章に変換することができるのです。
日本語は英語と違って表現方法が多数存在し、敬語があればゆるい表現もある何ともおもしろい言語です。

皆さんはこのおもしろい言語をネイティブで使えるわけですから、英語を書くときや話すときにこの
おもしろい言語である日本語でお堅く見える英語を叩き砕いておもしろおかしくデコレーションしてあげればいいのです。

  • 応用

さて、英語を叩き砕いておもしろおかしくできるようになったら実際に使ってみましょう。

英語で書かれたソフトウェアの説明文などをおもしろおかしく和訳してTwitterなどに
アウトプットしてみましょう。
高専カンファレンスのLTなどで有名なおとぎ話の原文を自分の解釈でおもしろおかしく訳して
発表してみましょう。

あまりまとまりはとれていない文にはなりましたが、まとめます。

  • まとめ

英語はツール!
英語はお堅くない!もっとおもしろおかしく接しよう!
英語が「使えるように」なると交友の幅が広がります!
英語が苦手だなぁという人はまずは英語に取り組む姿勢をもっとゆるくしてみよう!

外国人とゲームで「Fxxk Fxxk」良いながらおもしろおかしく遊ぼう!

高専プロコンを見学して

お疲れ様でした。

今年のプロコンも先週無事終了しました。
今年は残念ながらUstでの参加でした。初日に仕事入ってなかったらなぁ・・・

僕とプロコン

学生時代は全く関わらなかったんですが、社会人になってから
実際に会場に行ったりUstを見るようになりました。

実は高専入る前まではロボコンもプロコンも知らなかった。

プログラミングしたいなぁと思って高専入ったんだけど、プログラミングの
授業は3年からだし(3年の時の授業は良かった)、4年以降のプログラミングは
まさかの紙に手書きなんてやられてプログラミングの意欲が0になってだらだら
卒業した感じ。

一応プログラミングの部活には入ってたけど、上記のようなことも相まって
全く参加せず。 といった情報系専攻している者とは思えない状態で進んできました。

唯一プログラミングちゃんとやったのって3年のプログラミングの授業で触ったCと
卒研の時に触ったRails 1.6くらい。

仕事始めてからはずっとサーバ関連のことやり続けるって日々が続いていました。
そんなときに8月に高専カンファレンスというものに触れ、そこで12月に舞鶴で
プロコンとカンファやるからおいでよって声が掛かったので行ってみした。

なんと卒業してから1年弱位経ってから高専プロコンを観戦するようになったのです。

すげーおもしろいじゃん!

会場で実際に競技部門を観戦してみたんですがこれが中々おもしろい。
与えられた一つの課題に対して全国の高専生がチームを組んで取り組むというもの。
実際、プログラミングを常日頃にやってた人って学生時代部活のメンバーと卒研室の
メンバーしか見てこなかったから、あれだけの人数が集まってプログラミングしている
のは何とも衝撃的だった。

プロコン終わった後に聞いてみると、課題は半年前に振られてそれにひたすら取り組む。
どんだけ頑張っても改善点がどんどんでてくるから大会前日、当日も徹夜でプログラミング。
これが(プログラマーの)デスマーチか!なんて思ったり。

プロコンエフェクト

それからしばらくして京都であったGithubの講演や、任意団体クリエイティ部に入れさせて
もらって実際に自分もプログラミングするようになって余計に高専プロコンに興味を持つように
なった。

話は変わるけど・・・

高専生はよく高校生と比べて青春をドブに捨ててるなんて比喩されるけど、
実際中身を覗いてみると決してそんなことはない。もちろん、世間一般の
青春のイメージのベクトルとは真逆かもしれないけど・・・。

恋人を作って一緒に学生生活を謳歌して、クリスマスには一緒にデート、
受験シーズンが近づくと互いに励まし合いながら勉強して志望校へ。
こういう青春も確かに良いけど、僕としては高専生が送っている青春の
方が何となく好きだなぁと思う。(別に嫉妬じゃないよ)

asonasさんがおっしゃってたとおりだと思う。
(というか言ってることほとんど同じや・・・)

実は僕も・・・

このプロコンのようないわゆるエンジニア的青春を実は僕も学生時代送っている。

僕が通っていた高専では文化祭のステージで使う電光掲示板を代々4年生が設置、修繕、
機能追加を担当している。当時の僕は彼女が居るわけでもなく、何かに取り組んでるで
もなくただ惰性で学生生活を過ごしていた。このままではいけないと思った矢先、電工
掲示板のメンバーの募集が始まったからとりあえずこの現状から脱出するために参加した。

ぶっちゃけると、電気系なんて全くできないし、制御プログラムもかけないよって状態で
参加してた。そんな状態でも快く参加OKを出してくれた同級生には今でも感謝している。

できないなりに教えてもらいながら回路の修繕をしたり、電光掲示板のオペレータを買って
出たりして活動を続けた。
授業が終わったらすぐに作業場に集合して最終下校時間21時まで残って作業して、メンバー
と一緒にだべりながら駅まで歩く。次の日、朝に学校に来て授業を受けて、放課後作業へ。
こんな生活を6月くらいから文化祭当日11月3日あたりまで続けていた。

エンジニアは変わってる? 決してそんなことはない

この話を地元の同級生に話したり、普通学科に行った友達に「青春ではないなぁ・・・
楽しい?」なんて言われたもんだ。当初はやっぱり普通の感覚とはずれてるのかなぁって
若干へこんだりしてた。自分としても当時青春と言えば彼女作って遊びに行ったりなんて
ことを想像していたからだ。でも、その作業が楽しくない、というわけではなくむしろ
楽しかった。青春は謳歌できてないけど楽しければそれでいいやと自分に言い聞かせてた。

そうだよ 僕もリア充だったんだよ

今思い返すと、その作業も青春だったんだよ。それは一般的な青春ではなく、
「エンジニア的青春」だったんだ!と胸を張って言える。あれも青春だ。

現役の人たちへ

今在学中の高専生はどうか「俺たちに青春なんて関係ねー」なんて思わないで欲しい。
君たちが今一生懸命取り組んでいることも立派な青春なんだ。ただ周りとはすこし違う、
「エンジニア的青春」なんだ。どうか嘆かず胸を張って楽しく取り組んで欲しい。

最後に

卒業後しばらくして不意に学生時代のことを思い出して、「あ〜 こんなこともあったなぁ、
悔いが残らないように青春できて良かった。」と思えるように今を全力で楽しんでください。

カレントディレクトリ含むサブディレクトリ内の特定のファイルを削除する方法

カレントディレクトリ含むサブディレクトリ内の特定のファイル(たとえば.dbファイル)を削除するには
カレントディレクトリで以下を実行すればOK

find . -name "*.db" -delete